何もしたくないという強烈な気持ちが1年半続いた状態から日常を取り戻すまで

私藤田ネオをご存じの方は、きっとヒーラーやエネルギーワーカーとして認識してくださっている方が多いかと思います。
そんな私のヒーラーとしての活動は、ある時突然、ヒーリングサロンのホームページでご報告すら叶わぬ状態で休止状態となりました。
今日はその当時のお話をさせてください。
私は2023年の2月頃から原因不明の体調不良が始まりました。
『体調不良』と言葉にすると大したことなく聞こえますが、それはそれは苦痛な1年半でした。
最初はだましだまし、クライアントさんの協力を得ながらヒーラーとしての仕事を続けていたのですが、日を増すごとに身体はいうことを聞かなくなっていきました。
次第に、仕事どころか、人と会ったり外に出かけることが出来なくなるほどに体調は悪くなっていったんです。

くそばばあ、私と母に謝れ!
体調不良のきっかけとなったのは祖母の死。
私にとって祖母は、こころや魂の深い内的世界すなわち自己探求を始めるまでは憎くて憎くて仕方ない存在でした。
私が子供の頃から躾という建前で暴力をふるい、自分の気に入らないこと、思い通りにならないことがあると、髪の毛を持って引きずり回したり蹴ったり物や手で殴るような人でした。
身体的暴力だけでなく、「お前はみんなから嫌われとるぞ」など、人間なら誰でも言われたくないような言い回しをわざわざ選んで刷り込むような人でした。
人を痛めつけ不幸を望むような在りように、思い返すだけで気分が悪くなります。
ヒステリックに奇声をあげたり、強迫観念でガスの元栓を延々と確認し続けるような症状も日常的でした。しかもその確認作業を、暴力を振るってまで周囲の身内に強要します。
今なら、精神科にかからなければいけないレベルなのだと分かります。
しかし家庭という狭いコミュニティが社会の基準だと思い込んでいる子供にとって、クソババアに「よそはもっと厳しいんだ」と言われたらそれを鵜呑みにするしかなく、家庭内に異常者がいると外に助けを求める発想には至れませんでした。
私以上に母は(祖母からみたら実の娘)虐待や暴力に苦しみ、何度も自殺未遂をしました。最終的に限界に来た時、母は脳出血で生死を彷徨いました。
事あるごとに祖母が原因で母は不幸に見舞われましたが、その度に「私に逆らうとそうやって酷いめに遭うんだ」と吐き捨ててきた祖母。いつでも自分がいちばんの被害者である祖母。言葉は悪いですが本当にクソだと思います。
そうして
人生を通して強烈な理不尽さを抑圧して生きてきた私にとって、どんなに子供時代の記憶を癒し続けてきたと言っても、結局一切の非を認めることなく、一切の謝罪もなく死という形で逃げていった祖母に対する感情は、言語化不可能なほど複雑でどこにもぶつける場所が無い苦痛なものでした。
とはいえ私は傷ついた心を癒すことが専門です。祖母のどこが許せないのかなど改めて深く自己観察しながら自分自身にヒーリングワークを何度も何度も、来る日も来る日も諦めずに繰り返しやりました。
もうとっくに赦したはずの祖母に対して、納得のいかない思いが次々にあふれ出してくる日々。
時にはぶつける先のない怒りの矛先が夫に向かいました。

僕がおばあちゃんの代わりに謝るから…
怒りで自滅寸前で暴れる私を、夫は精一杯の愛情で受け止めようとしてくれました。
私の癒しの日々には、夫の献身的な無条件の愛なしには語れません。
夫のサポートに助けられながら、自己の癒しに励みました。
癒しは着実に進んでいる体感があったのですが、それと入れ替わるように強烈な何もしたくない気持ちに蝕まれていきました。
身体が・・・動かない
強烈な何もしたくない気持ち。
やらなきゃいけないのは分かっていても抗いようのないNOという反応。
今思い返せば
今日は洗い物ができなかった
昨日も今日もお風呂に入れていない
など
誰にでも起こりうる感覚から始まったように思います。
パッと聞きうつ病と思う方がいるかもしれませんが、うつ病と決定的に違うのは、無価値感や絶望感、孤独感、強い自己否定などのネガティブな感覚は伴っていないという点です。
なので精神科に診てもらうという選択肢はこの時点ではありませんでした。
自分のヒーリングの技術も信頼してたしね

それが次第に、どんどんと出来ないことが増えていきました。
仕事の帳簿関連やイベント企画が出来なくなったり
SNSの運用が出来なくなったり
人が多いところに出かけられなくなったり
美容院に行けなくなったり
etc…
心配しなくてもそれと比例するようにお客さんは減っていき、ついには収入がほぼ無い状態に。
フォロワーさんやクライアントさんもいくらかは離れていかれました。メンタル状態があまり良くない私にとって、人が離れていくという現象は心に反応を起こすものでした。
そして癒しや自己統合をやってきたからこそ、自分の心と身体の声を誤魔化したくない。それをいいことに何もしたくないという心の声は益々幅を利かせていきました。

出来るのはスマホゲームと生活必需品のネットショッピングだけ
出かけられない
人と会えない
SNS見れない
本が読めない
音楽が聴けない
映画が観れない
家事ができない
もちろん身だしなみにも興味が持てない
いよいよ出来ることがスマホゲームくらいになってきて。
ベッドの上で横になってるか、寝過ぎで頭が痛くなってしまったら横になったままスマホゲームをやって一日が過ぎ、夫が帰ってきたら気晴らしに外食に行きたがるという不健康なルーティーンでした。
これもまた文字にすると大したことないですが、自分の家のこととして想像してみてください。
家事は出来ないと言い
家のことを何も協力してくれない人間が、帰ると寝ている。
一般的な感覚では、おそらく数日でまた元気になってくれることをイメージしてしまうのではないでしょうか。
しかし
休んでも休んでも回復してこない家族。
それが数か月過ぎるころには

「元気になるために何か努力はしてくれてる?」
とでも問いかけたくなると思います。本来なら分担されるべきすべての負担が自分にのしかかってくるからです。
我が家の場合は夫がすべてを受け入れてくれました。
働きたくない。家事もできない。という状態が目の前で何百日続いていても、またいつか前のように元気になってくれる。という未来を信頼してくれたのです。
夫の協力があってこそですが、何もできない自分を全力で受け入れる、ということに集中することにしました。
ただ居るだけで価値がある
「ただ居るだけで価値がある」
これは心身ともに充実している時に確信するのはさほど難しいことではないです。
私は自分のことを常にそう思って生きていました。(もちろん癒しや自己統合がかなり進んでからの話です。)
だけど本当に
- 誰の役にも立ってない
- 何の社会貢献もできてない
- 世間の歯車にすらなれてない
という思考に埋め尽くされた時、心が弱っている状態でもなお、当然のように思い続けるのは難しいです。
今の自分の生き方を正当化してしまったらどこまでも堕ちていくのではないか
という怖れが出てくるからです。
だからこそ源の無条件の愛(存在するだけで価値があるという感覚)にフォーカスする必要性を感じました。
決して心配しているようにはならないと!
そして
その感覚に繋がりながら『毎日何かひとつ継続してやってみる』ということに挑戦してみることにしました。
ハードルは超絶低くして、普通に健康な人なら出来て当たり前のことを、1日ある猶予の中で頑張って一つこなす。という具合です。
やりたくはないけど、自分との約束を守るために行動する。そして出来た自分を労い称賛する。
今思うとやっぱり大げさだけど、それくらい当時の私にとって一大事だったんです。
この時、謎の体調不良が始まってから11ヶ月ほど経過していました。
- 神棚&お仏壇のお水を替える
- トイレ掃除
ここから始めました。お風呂に入れない日があっても良しとしました。家事を安定してやるのはまだまだ無理。

一つでもできることが増えると成功体験となり自信がつくものです。
ここから私は半年以上かけて、毎日少しずつ少しずつ、絶対にハードルを上げることはしないで出来ることを増やしていきました。
亀の歩みですが
何もしたくない
という思いに再度支配されることのないように、細心の注意を払う必要があったんです。何もしたくないという気持ちを刺激しない範囲でゆっくり取り組んでいきました。
半年くらい継続したある日、転機が訪れます。
長くなってしまったのでパート2に続きます。